因果関係の錯誤の処理

クロロホルム殺人事件を例に挙げて因果関係の錯誤の処理を検討する。クロロホルム事件は早すぎた構成要件的実現の実現であり、因果関係の錯誤の事案でないと思っている人がいるかもしれないが、因果関係の錯誤とは、因果経過に錯誤がある場合をさすので、本事案もこれに当たるので、上記タイトルとした。

 

最高裁の判断

「上記…の認定事実によれば,実行犯3名の殺害計画は,クロロホルムを吸引させてVを失神させた上,その失神状態を利用して,Vを港まで運び自動車ごと海中に転落させてでき死させるというものであって,第1行為は第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠なものであったといえること,第1行為に成功した場合,それ以降の殺害計画を遂行する上で障害となるような特段の事情が存しなかったと認められることや,第1行為と第2行為との間の時間的場所的近接性などに照らすと,第1行為は第2行為に密接な行為であり,実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから,その時点において殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。また,実行犯3名は,クロロホルムを吸引させてVを失神させた上自動車ごと海中に転落させるという一連の殺人行為に着手して,その目的を遂げたのであるから,たとえ,実行犯3名の認識と異なり,第2行為の前の時点でVが第1行為により死亡していたとしても,殺人の故意に欠けるところはなく,実行犯3名については殺人既遂の共同正犯が成立するものと認められる。そして,実行犯3名は被告人両名との共謀に基づいて上記殺人行為に及んだものであるから,被告人両名もまた殺人既遂の共同正犯の罪責を負うものといわねばならない。したがって,被告人両名について殺人罪の成立を認めた原判断は, 正当である。」

 

なぜ、判例は既遂事案なのに「実行の着手」を問題にしているのかを理解することが最も重要である。

 一般的な答案構成順序である主体・行為・結果・因果関係・故意という順序で答案化していくとなぜか既遂なのに「実行の着手」について論じているという変な答案が出来上がってしまう。このような変な答案を作成しないためにもなぜいわゆる早すぎた構成要件的実現において実行の着手を論じるのかを確認しつつ判例を確認していこう。

まず、結果犯における既遂犯の成立要件は、実行の着手、結果、因果関係、故意である。つまり、実行の着手に至る前の準備段階で、結果が生じた場合には、既遂犯は成立しないし、因果関係も問題とならない。そのため、殺人既遂を成立させるためには、実行の着手が必要である。第1行為に着手が認められず、準備行為で死亡した場合、殺人予備、過失致死という結果になってしまう。

本件で、第1行為によって、死亡した可能性があることを前提に考えると、上述のとおり、実行の着手が認められなければ、殺人既遂を問うことができない。そのため、本事案では、実行の着手が争点となっているといえる。もっとも、はじめに書いたように実行の着手から書き始めると、採点者になぜこの論点を検討しているのかを示すことができない。そこで、問題となっていない他の要件から検討していくべきである。

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①問題とならない要件の検討

 クロロホルムを吸引させた後に自動車をがけから転落させる行為を予定していたものであるから、殺人の故意は認められる。また、死亡しているので、結果も生じている。さらに「第1行為(クロロホルム)は、人を死に至らしめる危険性の高い行為であった」と判示されるとおり第1行為から死亡結果が生じるのは社会生活上の経験則から相当といえるので第1行為と結果の間の因果関係も認められる。

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②第1行為の殺人罪の実行の着手該当性

では、第1行為は殺人罪の実行の着手といえるか、という流れで書くと理解を示すことができる。

 

これはウェーバーの概括的故意であっても同じである。

①問題とならない要件の検討

首絞め行為は実行の着手にあたる。結果は発生している。殺す故意は認められる。

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②因果関係の検討(思っていた因果経過と異なるから問題となる)

ここでの因果関係は第2行為との因果関係ではなく、第1行為の実行の着手と結果の間の因果関係である。社会生活上の経験に照らして相当かを判断する。

ウェーバーの概括的故意の判断にあたって、予備校的論証では、殺意のある第1行為と第2行為を一体として評価するものがあるが、故意が異なる以上一体と評価することは困難である。また判例は一体と評価するとは一言も言及していない。結果的に第1行為と第2行為を一体と見ることは可能にも思える。しかし、それは結論から見た場合であって、客観的に一体と評価することは困難であるから、このような答案は結論を理由に持ってきている答案として評価されないと考える。

以上